園の沿革

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園長あいさつ

思いやりや助け合う心を大切に

「心身ともに健康で豊かな人間性を持った子どもに」をモットーに、生後2カ月から小学校就学前のお子様をお預かりしています。
 設立母体である天理教の教えに触れる中で、お互い思いやりや助け合う心を大切に育てています。
 私自身、六男四女を授けて頂き、子どもたちは皆この園を巣立って行きました。子育てに悩みはつきものです。今までの経験を活かし、職員一同心をひとつに保護者に寄り添って、子育てのお手伝いをさせて頂きたいと思っております。

園長 中村 五十美

理事長からのメッセージ紹介

 

理事長 中村 一之

 
 最近は観光で日本に来日する方も多くなってきましたが、海外に出ると日本に興味を持っている方が大勢いることに驚かされます。私が当時の西ドイツに在住していた頃、「お前は空手が出来るのか」とか、「歌舞伎」や「茶道」についても質問されるのですがほとんど何も答えられませんでした。そして「お前はそれでも日本人なのか」とがっかりされるのです。相手の外国人の方が興味をもっている分詳しいくらいです。日本にいるときには日本人であることを意識することはほとんどなかったのに、海外で改めてそのことを意識すると同時に、日本にはまだまだ自分の知らない素晴らしさがあるという事を知らされたのです。また語学学校で様々な国の人たちと話をする機会がありました。中には政情が不安で日本よりずっと貧しい国もありましたが、そういう国の方ほど自分の家族や母国に誇りを持っているように感じました。私はそんな人たちと接しながら自分が日本人として恥ずかしくなり、その時にアイデンティティーとしての母国や故郷の素晴らしさをもっと知り、愛着と誇りを持つ事がどれだけ大切かという事にも気づかされたのです。  
 皆さんはメーテルリンクの「幸せの青い鳥」という童話を覚えていますか。遠くばかり追い求めて手に入らない「青い鳥」を捜しまわりましたが、実は幸せの青い鳥は自分の家の中にいたというお話で、幸せというのは、案外自分のすぐ近く、そして自分の心の持ちようだという事を教えてくれる物語です。
 
 私達は何よりも大切であるはずの家族についてどれだけのことを知っているでしょうか。他の家庭や子どもを比べていませんか。それぞれの能力や性格、容姿、境遇、また夫婦や親子の関係でいろいろと思う事があるかも知れませんし、悪いところも困ったところもあるかもしれません。全部が全部立派というわけではないけれど、それでも大切なお父さん、大切なお母さん、そしてかけがえのない子ども達なのです。私達はそんな家族の良い所をどれだけ見つけようとしているでしょうか。育てようとしているのでしょうか。そしてそういったお互いや心遣いからも幸せの日々は生まれてくるのではないでしょうか。
 
 天理教の信仰では「いんねん(因縁)の自覚」の大切さをお教え頂きます。私達のこの人生は成長の場であり、どのような自分であっても、またどのような事がおきても、それは成長のための親神様の親心からであり、そのことを受けとめて、心に治まった姿が「今を喜べること」なのです。親神様にお引き寄せ頂き、お与え頂いた自分自身が持っている「いんねん」の素晴らしさに気づき、自分の周りの方々の素晴らしさというものを改めて見直す事が、現代の何がいつ起こるか分からない世界において一つの大切な心の持ち方ではないでしょうか。
 
 学生の頃に読んだ「トーチェ氏の心の法則」という本からです。
 
  「幸せとは、欲しいものを得たり、なりたいものになったり、
  したいことをしたりするところから来るものではなく、今得て
  いるもの、今ある自分、今していることを、あなたが好きにな
  るところから生まれてくるものです。このことを忘れてはい
  けません。」
 
 北越こども園の皆さんも何気ない日常生活であるからこそ、今ある自分、
今ある家族の中に「幸せの青い鳥」を探してみませんか。


令和5年3月
社会福祉法人北越福祉会
理事長 中村 一之

 
 新しい年を迎えたものの変異株の感染は治まる気配がありません。そしてその新型コロナ禍によって私達の身近なライフスタイル(生活様式)も大きく変わりつつあります。将来は現在の半分の職業がなくなるともいわれ、子ども達にとっての将来の夢やあこがれの職業にも影響がありそうです。しかしながら私達の子どもの頃には在ったのに今は無くなってしまった職業も多く存在するのです。  「子どもに教えたい ふしぎのお話365」11月23日の勤労感謝の日に“どうして大人はお仕事をするの”について書かれていました。一つには生活のお金を稼ぐためですが、もう一つにはお仕事をすることで他の人の役に立つことが出来るからと説明されていました。言い換えれば他の人の役に立った結果としてお金を稼ぐことが出来て生活が出来るという事です。また人の役に立ち、必要とされ、感謝されることは自分自身の幸せにもつながります。つまり大人は生きる喜びを得るためにお仕事をしているともいえるわけです。

 皆様は「小人の靴屋」というグリム童話を知っていますか?「あるところに貧乏な靴屋さんがおりました。靴屋さんが最後の一足分の靴作りの準備をしてお祈りして寝たところ、翌朝、見事な靴が仕事台の上に出来ていました。その靴が高く売れて次の材料を買い、靴作りの準備をして寝たところ、翌朝にはまた見事な靴が出来ていました。このようなことが続いて靴屋さんは裕福になりましたが、ある日ずっと起きていて誰が見事な靴を作っているのか見張る事にしました。するとかわいい裸の小人さんがやってきて靴を作り始めたのです。靴屋さんは裸の小人さんへのお礼に服を作ってあげたところ、小人さんは大喜びしました。靴屋さんはその後も幸せに暮らしたという事です。」というお話です。

 スーパーにあるお刺身も、誰が魚を釣って、切り身にしてくれたのか?素敵なデザインの洋服も、誰が材料を縫って作ってくれたのか?やっと買えた念願の自動車も、誰が設計し作っているのか?私達は知りません。コンピューターのマウス一つ作るのに、少なくとも百万人の人々が関わっているそうです。考えてみれば私達の社会は、このような数えきれないほどの「靴屋の小人」に支えられて成り立っているのではないでしょうか。

 天理教の教祖は「働くというのは、側側(はたはた)を楽(らく)させるから、はたらくというのや」とお教え下されました。私達は神様から体をお借りして、毎日生活をさせて頂いていますが、目でものを見、耳で聞き、鼻でかぎ分け、口で味わい話をすることが出来るのも、また食べたものが消化吸収し栄養となり、成長出来るのも全て親神様が「靴屋の小人」のように私達の知らないところでずっとお働き下されているからなのです。


 ところでこれから子ども達がお手伝いをしてくれたら、上手に出来ても出来なくても、結果ではなくてお手伝いをしてくれたという、その事を喜んで「たすかったよ、ありがとう」とお礼をいって頂きたいのです。お手伝いをして感謝をされたという喜びは、その子の生涯を支える宝となると思います。そしてそのように「はたらく」喜びをたくさん経験して育った子ども達は、きっと私達の想像も出来ないような素晴らしい未来の仕事を創り出しくれる事でしょう。
 

令和4年3月
社会福祉法人北越福祉会
理事長 中村 一之

 
 この冬は豪雪と新型コロナウィルスの影響で、外出より家の中で過ごす事が多くなったお子さんもおられた事と思いますが、今の子供たちの家での過ごし方といえば、やはり一番多いのはゲームでしょうか。
 ゲームメディア機器についてはゲーム・ネット依存症やSNSに係わる犯罪、そして家庭崩壊につながる問題にも発展しかねないとして、小学校でも中学校でも子供たちを護るために指導がされています。こんなにも子供も大人も魅了して時間を忘れさせてしまうゲームの世界ですが、私はゲーム・ネット依存症の話を聞くたびに思い出すおとぎ話があります。それは浦島太郎です。浦島太郎は助けた亀に連れられて海の中の竜宮城で乙姫様の接待を受けながら時を忘れるほど楽しい日々を過ごします。そして故郷が恋しくなり帰ってみると村には知っている人が誰一人いません。そして開けてはいけないといわれた玉手箱を開けた途端、白い煙とともにその時代の本当の自分の姿である白髪の老人になるというお話です。

 私はゲームに夢中になり自分でコントロールが出来ず、何時間も部屋にこもり、来る日も来る日も時間だけが過ぎていく子供たちがプチ浦島太郎(短期滞在型竜宮城)に見えるのです。浦島太郎は竜宮城での毎日は楽しかったかもしれません。嫌な事も何もなかったかもしれません。でも喧嘩をしたり仲直りしたり、恋をしたり振られたり、結婚したり子育てで悩んだり、仕事で失敗したり成功したりしたような経験もすることなく、竜宮城へ来る時と帰る時と何も変わりがないまま時間だけが過ぎた生涯になってしまいました。
 天理教の教祖は私達人間に常に成人(成長)することを促されています。そしてその親心から往々にして身上(病気やケガ)や事情(様々なトラブル)を通してお育て下さるのです。成功だけでなく失敗も大切な経験です。また泣いたり笑ったり、喜びや楽しさだけでなく悲しみや悔しさも含めた人生を通して人は成長するのではないでしょうか。


 ところで子供は小さい頃は出来ないのにしたがるものです。それなのに大きくなると今度は出来るのにしなくなっていくのです。そして失敗の経験をしないで大きくなった子供は、やがて失敗を恐れるようになるかもしれません。洗濯や掃除、料理や食器洗い、大工仕事でもお父さんお母さんがしていることなら、子供は何でも興味をもって一緒にしたがることでしょう。ぜひ挑戦をさせてあげて下さい。そして上手くいかなくて悔しがったり、落ち込んだりしている子供たちを励まして頂きたいのです。失敗して、そこからやり直し立ち上がる楽しさ、極端に言えば失敗する楽しさを味わうことは、失敗しないためにつくられたAI(人工知能)には出来ない世界なのではないでしょうか。
 ゲームの世界という竜宮城に行く子供たちに、経験という当たり前の様で実はかけがいのない財産をたくさんつくってあげて頂きたいと思います。でもひょっとするとAIや非接触型社会が進んだ未来は学力を上げるだけでなく、そんな経験も出来るゲーム機器が出来るのかもしれません。

令和3年3月
社会福祉法人北越福祉会
理事長 中村 一之

 
 どんな言葉が家庭を明るくするかというアンケートがありました。結果の第一位は断トツで「ありがとう」です。予想通りといえば予想通りですが、この言葉は一体どんな時に使われるのかといいますと、言うまでもなくお礼を言うときです。では何故お礼を言うのかといえば、それは感謝の思いを持つからです。そして何故感謝の思いを持つのかといえば、恩を感じる心があるからではないでしょうか。
 つまり恩を感じる心が家庭に満ちていればいるほど、「ありがとう」という言葉が多くなっていくということになるのです。それではその恩を感じる心はどこから来るのでしょうか。言い換えれば、恩を感じにくくするためにはどうすればよいのでしょうか。それはどんなにうれしいこと、助かることがあっても「当たり前」「当然の事」と考えてしまうことではないでしょうか。例えばレストランに行ってすごくサービスをしてもらっても、店員さんが何も言わないで、当然の権利だと思えばうれしいという気持ちは沸いてきません。

 天理教では「かしものかりもの」ということをお教えいただきます。これは、心はそれぞれ私達のものですが、当たり前のように使っているこの身体は、神様からすれば「貸しもの」であり、私達からすれば「借りもの」であるということです。そこから神様からお借りしている御恩に対して、この身体を大切に使わせて頂くという感謝の思いが生まれてくるのです。野球・柔道・ラグビー等で有名な天理スポーツは全てお借りしているこの身体への感謝の思いがその根底を流れています。

 感謝の思いをありがとうと伝えるのは「有り難い」という言葉が示すように、有ることが難しく、当たり前ではないからこそ、当たり前ではないと思うからこそ「有り難う」という言葉になったと思えば、その言葉の成り立ちに驚くばかりです。

 何年か前に少年院の所長さんのお話を聞く機会がありました。その時に所長さんは「その子が更生をし、立ち直るきっかけは、親の恩に気づいて、感謝の思いを持つことから」ということを強くおっしゃっていました。もともとある御恩に気づくことも当たり前の世界を変えていくことなのかもしれません。

 有り難い「ありがとう」という言葉は、お父さんが仕事に行く。お母さんが食事を作ったり、お洗濯をしたりする。子供がこども園に登園し、無事に帰ってくる。そんな当たり前のような日常の出来事が、実は当たり前ではないと気付き、感謝の思いを持つことから広がっていくのではないでしょうか。

令和2年3月
社会福祉法人北越福祉会
理事長 中村 一之

 
 子供のための名作には、子供をほったらかし系の話が数多くあります。  この2月に「メリー・ポピンズ・リターンズ」という映画が封切られましたが、「メリー・ポピンズ」もそうですし、皆様も良く御存じの「ピーターパン」もそうです。どちらのお話もお父さんもお母さんも忙しくて、子供達と一緒に過ごす時間がほとんどありません。だからこそ話が面白くなるのですが・・・・子供達が不思議な体験をし、やがてお別れの時がやってきます。そしてどちらの映画も最後のシーンで、お父さんとお母さんの心に浮かんだ事、それがそれぞれの作者が伝えたかった子を持つ親へメッセージではないでしょうか。私は忙しくなればなるほど、何となくこのお話のお父さんと自分が重なってきて、今自分に出来る事は何かと反省するこの頃です。

 ところでどんな職業であっても、例えばお医者さんや、お巡りさんも資格を取っただけでは、まだ素晴らしいお医者さんやお巡りさんとはいえません。様々な経験をし、苦労を重ねながら、お医者さんらしいお医者さん、お巡りさんらしいお巡りさんになっていくのではないでしょうか。同じ様に私達は子供を授かって親となった時に、初めから立派な親というわけではありません。ただ子供を授かったというだけでは、まだ親子であって親子ではないのです。いうなれば親子になっていくために親子という御縁を頂き、親という立場を頂いただけともいえるのです。そして実はそこから親子という人間関係を築いていく物語が始まるのです。


 私共の教えでは親神様が「人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたい」との思召しから、この世をおはじめ下されたとお聞かせ頂きます。それぞれが自分だけの楽しみを求めるのではなく、共に楽しむ世界があってこそ、陽気ぐらしの世界に近づく事が出来るのです。ですから私達を悩ます子供の様々な問題も、親子関係を築いていくために、そして共に人生を歩み、向き合うために与えられた課題なのかも知れません。

 私達が子供を授かりこうして我が子と出会えた事は、神様から私達へのプレゼントではないでしょうか。そしてこれからどのような親子になっていくのか。それは私達から神様へのプレゼントではないでしょうか。


平成31年3月
社会福祉法人北越福祉会
理事長 中村 一之

 
 子供も大人もみんな魔法が大好きです。シンデレラやアラビアンナイト、日本でも花咲爺や一寸法師など、考えただけで楽しくなりますが、子供の無限の可能性を引き出す創造力の源泉としてとても大切な世界です。  ところでハリー・ポッターでも分かる様に魔法をかけるにはアイテム(道具)と共に呪文が必要です。お父さんやお母さんは実は言葉かけという呪文を使って毎日子供達に魔法をかけていることにお気づきでしょうか。
 子供は小さければ小さいほど、自分がどのような人間なのかわかりません。いったい自分はどのような子供なのか、そして自分の価値をお父さんお母さんの言葉や態度を通して知り、少しずつ自我というものが作られていくのです。

 昨年、私は保護司の研修会に参加させて頂く機会があって少年院の所長さんをはじめ様々な話を聞かせて頂きました。そして犯罪に手を染めてしまうような子は、「どうせ僕なんて何をやっても駄目だから」「どうせ私は馬鹿だから」「どうせ私は悪い子」といった。自己評価が低い、言い換えれば悪い魔法を一杯かけられているような子が多いとのことでした。皆さんもよくご存じのディズニー映画の「眠れる森の美女」で悪い魔法使いのマレフィセントはオーロラ姫に対して「16歳の誕生日日没までに糸車で指をさして死ぬ」という魔法をかけましたが、そのすぐ後に、メリーウェザーという良い魔法使いが贈り物の代わりに「死ぬのではなくて眠るだけで真の恋人のキスにより目覚める」という呪いを修正した魔法をかけてオーロラ姫を助けます。


 同じように私達も子供達に対して「悪い子」ではなく「悪い事をすることがある」、「ダメな子」ではなく「ダメな事もある」と行動や結果を子供の人格にしてしまわないように修正をして魔法をかけることが大切であると思います。そして更に今の姿にとらわれることなく、「ほら少し出来たじゃないか」「きっと面白いよ」「楽しいね」「もっとやってみよう」と未来に向けての魔法もかけて頂きたいのです。日常の何気ないこの言葉かけこそが月々云うと書いて「育」てるという事なのではないでしょうか。

 天理教の教祖おやさまは言葉の使い方について、言葉が人を育てる栄養となるように「声は肥やで」(こえはこえやで)とお教え下さいました。そして言葉を通して子供を育てるお父さんお母さんは子供達にとってやはり世界一の魔法使いなのだと思います。

 「さて今日はどんな魔法をかけようかな。 それ!ビビディ・バビディ・ブー。」

平成30年3月
社会福祉法人北越福祉会
理事長 中村 一之

 
 この時旬は、進級、進学、就職と新年度からの生活に向けて、期待と不安で胸いっぱいに包まれながら、親子一緒になってその準備に追われている御家庭が多いのではないでしょうか。  今も「世界不思議発見」というTV番組がありますが、何年か前に「ヘレン・ケラー」のことを特集したことがありました。へレン・ケラーは皆さんも御存知の方であり、天理市へおぢばがえりをしたこともある世界的な偉人でありますが、この方の目、耳、声の三重苦を乗り越えた「奇跡の人」という映画があります。しかし「奇跡の人」というのは、実はヘレン・ケラーのことではありません。
 「奇跡の人」は英語で「ミラクル・ワーカー」と表現されていて、「奇跡の仕事を成し遂げた人」という意味なのです。つまり「奇跡の人」というのはヘレン・ケラーではなく、ヘレン・ケラーを育て導いたアン・サリバン先生のことなのです。

 サリバン先生という方は、幼くして目の病気となり、早くに母を亡くして施設に預けられました。その後身体の不自由な弟はすぐに亡くなり、自分も目の病気が悪化して、ついに盲目になってしまいます。うつ病などの苦しみを経て、何度かの手術でようやく少し視力が回復し、盲学校卒業後、盲学校の先生になり、やがてヘレン・ケラーの家庭教師になったのでした。そしてヘレン・ケラーだけでなくサリバン先生もヘレン・ケラーを通してお互いに成長していったのです。

 人は誰しも育て導いてくれた人がいます。ヘレン・ケラーを導いたサリバン先生を育て導いてくれた方もまた存在するのです。そして子供達の様々な才能が開花して行く世界がある一方、例えばエジソンや坂本竜馬、アインシュタインなど歴史上の人物が世界に貢献するその陰には数々の困難や障壁が存在し、子供の個性を理解し支援するために、子供を通して親や家族が気付き、変わり、成長していった世界がある事を私達は今に知るのです。
 
 私達は子供を授かって初めて親という立場を頂きます。そして子供は生まれてから人生の歩みが始まるように、親もその時から親としての経験が始まるのです。子供が成長するという事は、実は親も親として成長する事であり、完全な子供というものがいないように、非の打ちどころのない親もいなくて、親は未知の世界での試行錯誤の連続である方がむしろ当たり前ともいえるのです。
 そして子供が親を通して成長するように、実は、私達も子供を通して成長する存在であるという事に気がついた時に、子育てを通して今まで以上に親子が謙虚に寄り添えるのではないでしょうか。
 そして自分が育てて頂いた御恩返しをするだけでなく、子供を育て共に成長する全ての親は、やはり未来への「奇跡の仕事」を担っているのだと思います。

平成29年3月
社会福祉法人北越福祉会
理事長 中村 一之

園の概要

園の概要

名称

幼保連携型認定こども園 北越こども園

創始者

天理教北越分教会

設立

1955(S30)年4月1日(北越保育園)

設置者

社会福祉法人北越福祉会

園長

中村 五十美(いそみ)

認可

2019(H31)年4月1日(北越こども園)

所在地

〒948-0003 新潟県十日町市本町6の1丁目79番地1

連絡先

025-757-3860

職員

園長、副園長、事務長、主幹保育教諭、保育教諭、看護師、栄養士、調理員、保育補助、清掃員、管理員、学校医(嘱託)、学校歯科医(嘱託)、学校薬剤師(嘱託)

入園対象年齢

0歳(産休明け)〜就学前児童

園児定員

1号認定15名、2号認定36名、3号認定34名、計85名

保育時間

1号認定:9時00分~15時30分(時間外の預かり保育あり)、

2・3号認定:標準 7時30分~18時30分、短時間 8時30分~16時30分(7時15分から、及び19時15分までの延長保育あり)

土曜保育も平日と同じ

休園日

日曜、祝日、年末年始(12/30-1/3)

特別保育

お盆、十日町おおまつり、年度末(5日間位)

1号認定のお子さんは預かり保育があります。

北越こども園父母の会

当園に在籍する園児の父母、もしくは保護者で組織される会。当園の行事に参加し、会員の親睦をはかりつつ当園に協力していきます。

 
 

法人の概要

 
法人の概要

名称

社会福祉法人北越福祉会

理事長

中村 一之

設立認可

1977(S52)年5月28日(6月7日登記)

所在地

園に同じ

連絡先

園に同じ

情報開示

定        款 WAM財務諸表等電子開示システム

役  員  名  簿 WAM財務諸表等電子開示システム

役 員 報 酬 規程 WAM財務諸表等電子開示システム

事 業  報 告 書 jigyouhoukoku2022.pdf(632KB)

計 算 書 類  等 WAM財務諸表等電子開示システム

苦  情  解  決 kujoukaiketu2022.pdf(385B)

施設関係者による評価 sisetuhyouka2022.pdf(188KB)

自  己  評  価 jikohyouka2022.pdf(300KB)

 
 

沿革

 
沿革

1913(T2)

創始者・天理教北越分教会の初代会長・中村通恵(ゆきえ)が、家庭の幸せ、社会の未来の姿は、子どもの健全な育成、特に人生の方向を決定する幼少の時期の育成が大切であると、初代会長夫人・中村ひさを代表に「北越子供会」を結成

1943(S18)~

創始者・天理教北越分教会が、地域社会に対する奉仕活動として、春秋の2回、農繁期季節託児所を開設

1955(S30)

4月 北越分教会二代会長夫人・中村かをるを初代園長として「私立北越保育園」が定員50名で発足

9月 乳児室増築(県内ではまだ稀な乳児保育施設)、定員60名に増員

1962(S37)

4月 定員90名に増員

1977(S52)

5月 社会福祉法人「北越保育園」設立認可、 初代理事長に中村則之が就任

11月 改築新園舎竣工

1983(S58)

4月 0歳児保育認可、0歳児保育スタート

6月 玄関ポーチ2階に0歳児室(ひよこぐみ)増築 

1985(S60)

ホール南側に遊具庫(マンション・プー)増築

1990(H2)

4月 中村かをる初代園長退任(二代理事長に就任)、二代園長に中村田鶴子が就任

1997(H9)

5月 中村かをる二代理事長退任、三代理事長に中村俊之が就任

10月 法人名を「北越福祉会」に改称、「北越保育園」は施設名称に

12月 二階北側に乳児室(ことりぐみ)増築

1999(H11)

4月 学童保育スタート

5月 一階北側に子育て支援ルーム(子育てサロン、学童保育室)増築

6月 隣接地330.60㎡を購入し、園庭を拡張、一部を職員専用駐車場に

2004(H16)

4月 第三者委員配置

2005(H17)

10月 トイレ増改築

2011(H23)

10月 近隣地購入、職員専用駐車場に

2012(H24)

3月 評議員会設置

2016(H28)

4月 中村俊之三代理事長退任、四代理事長に中村一之が就任

2017(H29)

4月 中村田鶴子二代園長退任、三代園長に中村加奈子が就任

4月 改正社会福祉法に則り定款変更し、法人組織体制を一新。評議員会が諮問機関から議決機関に。

7月 園舎改築工事着工

2018(H30)

10月 園舎改築工事竣工

2019(H31)

3月 「北越保育園」閉園(63年間)

4月 幼保連携型認定こども園「北越こども園」開園

2020(R02)

4月 中村加奈子三代園長退任、四代園長に中村五十美が就任

 

園舎の歴史

園舎の歴史

1955(昭和30)年4月、地域の要請により天理教北越分教会の創立60周年事業の一つとして産声を上げた私立北越保育園。教会関係者の手作りで造られた最初の園舎は木造の平屋建てで、後日、調理室の2階に乳児室が増築されました。当時は、教会との間(国道側)には教会のお庭と池があり、現在の駐車場の四分の一を園庭として使っていました。

1977(昭和52)年3月、稲荷町の仮園舎に引っ越し、22年間お世話になった初代園舎は解体されました。同年5月、北越保育園は社会福祉法人となり、同年11月、多くの方からの真心で鉄筋コンクリート造の二代目園舎が竣工。後年、園庭を園舎北側に移転し、それまでの園庭は現・駐車場に。やがて玄関ポーチの2階に0歳児保育室(ひよこぐみ)ができ、ホールの南側に遊具収納庫(マンション・プー)を増設。避難用螺旋滑り台の設置、乳児室の拡張(フローリング)、多目的学童保育室の増築(アリスの部屋)、トイレの増築と園舎は進化し続けました。法人名も社会福祉法人北越福祉会に改称。
 
2017(平成29)年7月。相次ぐ震災に対応するための耐震措置を施せないことから、園舎を全面改築することになりました。広い園庭部分に新園舎を建て、引っ越してから二代目園舎を解体して新園舎の残りを建てるという足掛け2年の改築工事が始まりました。

2018(平成30)年10月、国や市からの交付金で耐震基準を満たす鉄骨造の三代目園舎(現在の園舎)が完成し、2019(平成31)年4月からは、幼保連携型認定こども園北越こども園としてスタートしました。

現在の園舎はこちらから。

昭和30年築 初代木造園舎

みんなの夢を乗せて出来上がった北越保育園は、手作りの木造園舎でした


 
1955(昭和30)年4月、地域の要請により天理教北越分教会の創立60周年事業の一つとして産声を上げた私立北越保育園。教会関係者の手作りで造られた最初の園舎は木造の平屋建てでした。当時は、教会との間(国道側)には教会のお庭と池があり、現在の駐車場の四分の一くらいの広さを園庭として使っていました。
 
 

草創期の園児たちと玄関前で


 
第1回生(昭和30年度卒)、第2回生(昭和31年度卒)の園児と田鶴子先生たち。1回生の子どもたちは昭和24年度の生まれです。
 
 

保育園前の市道に積もった雪


 
町内中で雪下ろしをすると、保育園前の市道はホールの窓より高く積もった雪で、春まで車は通れません。牛乳配達やゴミ収集は雪ソリを使っていました。
 

昭和52年 初代木造園舎解体、仮園舎へ

手作りの木造園舎は、解体作業も人力で


 
1977(昭和52)年3月、卒園式を終えると、翌日から解体作業に。保護者のお父さんたちの協力で解体作業が進められました。稲荷町に仮園舎を借り、秋までの保育は仮園舎で行いました。
 
 

さようなら初代木造園舎


 
雪の残る中、解体作業が進められ、22年間の役目を終えて、思い出の初代園舎は姿を消しました。
 
 

仮園舎の除雪


 
稲荷町にお借りした仮園舎の除雪作業には、保護者も総出で頑張りました。
 

昭和52年築 二代目鉄筋コンクリート園舎

社会福祉法人化に併せ、老朽化した園舎を改築


 
1977(昭和52)年11月、多くの方からの真心で鉄筋コンクリート造の二代目園舎が竣工。併せて、社会福祉法人北越保育園も誕生しました。園庭を囲んでいた西側の棟が無くなり市道に直面して園庭の広さは倍になりました。後年、北側に園庭を拡張し、それまでの園庭は駐車場になりました。法人名も社会福祉法人北越福祉会に変わりました。
 
 

改築直後の園庭は、今の駐車場スペースでした


 
国道までの間には教会の築山と池があり、園庭は今の駐車場の西側半分の広さでした。
 
 

ポーチの上にひよこぐみを増築


 
0歳児保育のスタートにあたり、玄関ポーチの上にひよこぐみが増築されました。北側には1歳児用のフローリング室(2F)と多目的保育室(1F)ができ、学童保育も始まりました。
 

平成29年 二代目鉄筋コンクリート園舎解体 現園舎の着工

耐震措置を施せない旧園舎から、新園舎に


 
2017(平成29)年7月、園舎の老朽化が進み耐震措置を施せなくなったことから、耐震基準を満たす新しい園舎を建てることになりました。写真は地鎮祭で鍬入れをする中村一之理事長と施工業者の社長さん。おかげで無事故のうちに竣工できました。
 
 

青空にそびえ立つ鉄骨


 
基礎工事をしっかりと行い、いよいよ鉄骨の建て方を迎えました。広い園庭に新しい園舎が建てられ(一期工事)、引っ越しのあと二代目園舎の解体、新園舎の残りの部分が建てられます(二期工事)。足掛け2年に跨るスケジュールです。
 
 

上棟式


 
上棟式を迎えました。上のクラスはもちろんのこと、1歳児のことりぐみさんもお菓子を拾いに待機しています。
 
 

外装工事・内装工事


 
雪の降る間は内装工事を進めます。それぞれの部屋が毎日少しずつ出来上がっていく様子は、見ていてワクワクしてしまいます。
 
 

一期工事完了


 
2018(平成30)年3月。一期工事が無事完了し、業者より引き渡しを受けました。これから怒涛の引っ越しが始まります!
 
 

二代目園舎から現園舎に引っ越し


 
二代目園舎からの引っ越しが始まりました。写真はピアノを専門家が二人で運び出すところ。まるでマジックを見ているようです。各部屋の道具は地上と屋上とから搬出・搬入を行いました。
 
 

二代目園舎さよならイベント


 
2018(平成30)年4月1日。思い出の二代目園舎のさよならイベントが行われ、250人を超す卒園生関係者がお別れに来てくれました。思い思いのコメントを園舎の壁や床に書きまくりましたね。
 

ことばのスケッチ

いいづか T子ちゃん(3歳)

 
母ちゃん 母ちゃん お空がとってもきれいだよ
Yちゃんが虹だって
虹ってだぁれが つくったの?
T子がクレヨンで描くより もっともっときれいだね
あっちのお山と こっちのお山と
虹のはしは きつねのお嫁入り
T子も渡りたいな
お正月のおべべ着て いい子になるから 渡らせてネ

かぶらき H男ちゃん(5歳)

 
H:おかあちゃん、あのね、今日保育園で変なんだよ。
母:何が?
H:あのそー、M先生がそー。
母:叱られたん?
H:ちがうて、M先生がH男にそー、「ア・ナ・タ」そういったんだよ。
母:言ったっていいろー?
H:でもおかあちゃん、H男たち まだケッコンしていないんがそー。

なかむら Hちゃん(3歳)

 
ぼく、にいがたじしんに いってきた。
にいがたは、よこになってらんだよ。
にいがたじしんが、2つも3つもあったよ。

あべ S香ちゃん(4歳)

 
おかあちゃん、かぜってエッチだね。
だって、わたしのスカート めくったんだもん。

なかむら K之ちゃん(4歳)

 
アッ お月さまだよ お母ちゃん
お月さまも 走ってるよ
どうして、お月さまがいっしょに走るのかな
また お月さまがついてきたよ
ホラ、お月さまがボクを送ってあげるんだよって

たかはし H夫ちゃん(4歳)

 
汽車に乗ってカーブのところに来たら大声でー
H:お母さん、汽車がバナナになったよ。

むらやま M彦ちゃん(4歳)

 
M:お母ちゃんも、子供だったぁん?
母:そうだよ。お父ちゃんもお母ちゃんも、初めは子供だったんだよ。
M:ふうん。ぼくはそォー、大きくなったらお父ちゃんになろうかなぁ。お母ちゃんになろうかなぁ。

T、K、A、B(4歳児)

 
その1
T :先生ね 今日ボクのお母さん病院に行くんだよ。赤ちゃんが生まれるから。
保母:弟がほしい? 妹がほしい?
T :ボク 弟がいいや、女なんかきらいだ。
K :だって女は大人になると ケッコンしるんがな。
ー にやにやしている
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その2
A:あっ、かなぎっちょ(とかげ)だ。
B:恐竜のこどもかもしれないね。

その3
K :先生の足、おとうちゃんみたい
保母:あら、どうして
K :だって、いっぱいふくらんでるもん

いとう Mよ(4歳)

 
M:おかあちゃんの会社は 今日おやつなに?
母:・・・・・・
M:Mちゃんたちは かきのたねとおせんべいだよ。
  おかあちゃんも 歌をうたってから いただくの?